美女から見えてくるイスラエルの歴史①

歴史

皆さんは知っているだろうか?
イスラエルが世界一の美人大国であることを
あくまで私の個人的な見解だが、イスラエルはとにかく美人が多い。
私はこれまでに27ヶ国を訪問してきた。その中でイスラエルは飛び抜けて平均値が高い国だ

私は、”1000年に1人の逸材”と言われている橋本環奈が大好きだ。滅茶苦茶可愛いと思っている。
しかし、あの”1000年に1人の逸材”橋本環奈でさえも、一度イスラエルの街中に産み落とされれば、3秒に1人の凡人に成り下がってしまう
そう、イスラエルの街中には橋本環奈クラスの美女がそこら中に溢れている。とにかくイスラエルは女の子のレベルが高い。

今回は美女という視点からイスラエルの歴史を簡単に学んでいく
普段イスラエルに興味がない人も、美女が絡めば興味を示してくれるだろうという甘い考えだ。
イスラエルの美人は大きく分けて以下の3つに分ける事ができる。
1,アラブ系美人
2,素朴っ子ユダヤ美人
3,東欧系美人
今回の記事では、アラブ系美人に焦点を絞って考えてみよう。
何故こんなにも多種多様な人種の美女がいるかと言うと、イスラエルという土地の歴史が深く関わっているからだ。

エルサレムのダマスカス門

時代は一気に遡り紀元前11世紀、旧約聖書によると当時カナンと呼ばれていたこの地で最初のユダヤ人王国「イスラエル」が建国された。
サウルという人物が王となりごく小さな地域で生活を営んでいた。その後王国を継承したダビデは領土を拡張し、エルサレムに王国の首都を築いた。
ダビデの死後、ソロモンがイスラエル王国の経済力を大きく高めた。しかし彼の死後、カナンのユダヤ人達は北部の「イスラエル」南部「ユダ」に分裂して、内乱の時代へと突入した。
それからというもの同地に君臨する支配者は、エジプトバビロニアペルシャギリシャローマへと移り変わっていった。
そして、ローマ人によってイスラエルから「パレスチナ(ペリシテ人の土地)」と呼ばれるようになった。

廃墟となったエルサレムが再建されていったが、ローマ軍によってユダヤ人が町へ入ることは厳重に禁止された
その後、皇帝コンスタンティヌス一世の指導下で、ローマ帝国へのキリスト教導入が公認されると、335年にイエス・キリストの絶命した場所(ゴルゴダの丘)に「聖墳墓教会」が建立された。

聖墳墓教会内部

しかし7世紀に入ると、エルサレムの支配権はイスラム教徒のアラブ人勢力によって握られることになった。
「カリフ(預言者ムハンマドの代理人)」であるウマル一世は、ムハンマドがエルサレムの地にある巨大な岩から天国へ通じる梯子を昇って、アッラーの御座にひれ伏したという「聖なる岩」をメッカとメディナに次ぐイスラム教第3の聖地と位置づけ、この岩を包み込むに「岩のドーム」と呼ばれる八角系の神殿を建てた。

岩のドーム

アラブ系住民がパレスチナに住む人口の大多数を占めるようになったのもこの時代のことだ。
その後、ヨーロッパのキリスト教勢力が十字軍の遠征を実施し、聖地の奪還を試みた
幾度か十字軍の手に落ちたが、1244年にトルコ人イスラム教徒によって支配された。
1516年にオスマン帝国がエルサレムを支配下に置き、現在のエルサレム旧市街を完成させた。この城壁内では、生活上の権利に制限が課せられてはいたものの、キリスト教徒やユダヤ教徒も居住することを許された
その後色々あってイスラエルが建国されたのだが、それは素朴っ子ユダヤ美人の項で詳しく解説します。
ここまでの一連の流れを簡潔にすると
イスラエル王国(ユダヤ人)イスラエル王国(北部)ユダ王国(南部)エジプトバビロニアペルシャギリシャローマ帝国(キリスト教徒)アラブ人勢力(イスラム教徒)トルコ人勢力(イスラム教徒)オスマン帝国(イスラム教徒)
要は7世紀にアラブ人勢力が支配した関係上、現在でもイスラエルでアラブ系美人を拝むことができる。

しかし、アラブ系といっても必ずしもイスラム教徒というわけではない。
ヨーロッパから多くのユダヤ人が移住する前から代々この地に暮らしていた人々は、アラブ系の顔をしているがユダヤ教を信仰しているユダヤ人だ。
また私の友人がそうなのだが、イエス・キリストが幼少期から公生涯に入るまでを過ごした土地であるナザレという町には、アラブ系キリスト教徒が多く住んでいる。
因みに私は彼らから「無宗教とか引くわー」と言われ、十字架の切り方を教えられ、「洗礼受けろよー」と言われた経験がある。
以上が美女から見えてくるイスラエルの歴史 アラブ美女編でした

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執筆者 日下部智海

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