イスラム教の学校での話①

イスラム教

今春、私はトルコのある都市にあるイスラム教の学校に2ヶ月居候することになった。
学校と言っても、立派な校舎などなくアパートの3階に教室が、4階に生徒が集団で寝る部屋があるだけである。

エジプト人(2人とも英語が堪能で長い間シリアに住んでいた)の先生が2人、そして12歳から23歳までの25人程の生徒が、親元を離れここでイスラム教を学びながら共同生活している。
生徒はみなシリア人(アレッポやホムス、ハマー、ラタキアなど出身地は様々)の男性。
彼らはシリアの内戦から逃れ、彼らの両親はトルコの他の都市で生活している。
私は多くのシリア難民にお会いしたことがあるが、ここの生徒たちは比較的裕福な家庭で育った子たちであると思う。そして、比較的早くにシリアを離れた子が多かった。
それでも、日本に住んでいる私たちが味わったことのない、恐怖を味わっているのは確かだ。
その恐怖が彼らを強くしたのか?私には分からないが、同年代の日本人と比べ、とても大人で一人一人が自分の意見を持っていた。

まず私を苦しめたのが1日5回の礼拝だった。
イスラム教では、信者の義務として毎日5回。聖地があるサウジアラビアのメッカの方向を向いて礼拝しなければならない。
私はムスリムの友人がたくさんいるが、1日5回の礼拝をきちんとこなす人は少ない。多くは、1日に1度やコーランを流して終わりなどである。
しかし、ここはイスラム教の学校。1日5回きちんと礼拝する。
それぞれの礼拝をファジュルズフルアスルマグリブイシャーフと呼ぶ。
ファジュルは明け方から日の出まで。ズフルは正午から昼過ぎまで。アスルは昼過ぎから日没まで。マグリブは日没直後。イシャーフは寝る前。
ファジュールは朝の6時半くらいにするが、礼拝の前にアザーンといって、生徒の一人が礼拝の呼びかけを朗唱する。この声がとても大きいので毎朝6時前には起こされる。そして、礼拝の前にウドゥーをしなければならない。ウドゥーとは礼拝の前に自らを清めることである。

ウドゥーの方法は下記である
1.手を洗う(3回)
2.口に水を含みすすぐ(3回)
3.鼻の穴に水をいれそそぐ(3回)
4.顔を洗う(3回)
5.手首からひじまで、左右の順に洗う(3回)
6.手をぬらし額からうしろの方向に髪をさわる。続いて、人差し指で耳の穴をさわる。
7.足を洗う(足くびまで3回)

はっきり言ってとても面倒くさい。特に寝起きの悪い私は、発狂したくなるなか年下の生徒に監視されながらするのだが、とにかく彼らは厳しい。途中で間違えると最初からやり直しでいつもビチャビチャになる。そしてそのままお祈りしなければならない。
礼拝はだいたい約20分くらいかかる。

礼拝の方法は下記である
1.みんな横1列に並び、隣の人と足を密着させ、メッカの方を向く。
2.両方の手のひらを耳の高さに挙げて、アッラー・ハクバルと唱える
3.イマームと呼ばれる指導者がみんなの前に立ち、コーランのファティハを唱える
4.両手を膝につけて、スブハーナ ラッビヤ・ル・アジームと3度唱える。
5.直立に戻って、サミアッ・ラーフ リ・マン ハミダと唱える
6.平伏し、スブハーナ ラッビヤ・ル・アアラーと唱える
7立ち上がる
この動作を4回繰り返すが、2回目と4回目は少し違う。何が違うかは正直よく分からないので各自興味があったら調べておいてください。

これが1日5回である。正直言ってかなり面倒くさかった。毎回お祈りしながら、「俺は何をしているのだろう?」と考えさせられた。
当たり前のことだが、私以外の人は本気でお祈りしている。だから彼らに礼拝後話しを聞くと、みんな「最高の気分だ」と答える。
これを狂信的だと捉えるか、信心深いと捉えるかはあなた次第。
次回に続く

執筆者 日下部 智海
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